天下分け目の戦い?!
こんにちは(^-^*)/コンチャ!
早速ですが、本日は『衆議院選挙』の投票日。
民主政権維持か、自民&公明の政権奪還か、はたまた第三極か...(-_-)ウーム
まさに『天下分け目の戦い』といったところでしょうか(^_^)ニコニコ
しかしながら、我が埼玉、何か投票率が低い様で...(-_-)ウーム
投票所にいっても、「立会人は年配の方」、「投票者も年配の方」が目立ちます。
この先、日本はどうなるのでしょうか
選挙の結果は、投票箱の開封、集計を待つとして、本日は同じく『天下分け目の戦い』という訳ではないですが、戦国時代が終焉を迎え、天下統一に至った舞台の一つを史跡探訪として訪れてみました。
昼前に自転車で出発、途中、実家に寄り、更には投票所での投票を済ませ、目的地である『埼玉古墳群』に向かったのですが、おもいっきり向かい風、運動不足の身には、かなりこたえました(*´σー`)エヘヘ。
なんせ自転車が、20インチの折り畳み自転車なもんで...(;^ω^A テレテレ
(正面に見えるのが稲荷山古墳:埼玉古墳群)
埼玉古墳群へは、裏手の『古代蓮公園』側から整備された遊歩道を経由して入り込みました。
出土された鉄剣で、今までの歴史の認識を変えたといわれる『稲荷山古墳』を後にし、一路『丸墓山古墳』へ
関東平定に燃える『豊臣軍』は、周囲の『松山城(武蔵松山城)』、『岩付城(岩槻城)』、『館林城』を次々と打ち破り開城させ、『忍城』を包囲するに至り、その際に豊臣側の大将『石田三成』が陣を置いたのが、『丸墓山(現埼玉古墳群の丸墓山古墳)』となります。
(埼玉古墳群:丸墓山古墳)
対する北条側の『忍城主の成田氏』は、篭城の構え
思う様に攻略が進まず、考える三成くんr(-◎ω◎-) 考え中.....
(丸墓山古墳から忍城方面の眺め)
丸墓山の陣から、忍城を眺め、どの様な思いを巡らせていたのでしょうか(-_-)ウーム。
敬愛する秀吉様の『高松城水攻め』をヒントとしたのか、『荒川』と『利根川』に挟まれた地形を利用し、『堤(堤防)』を作り始め、『忍城水攻め』を慣行します(水攻め案の発端としては、「三成説」、「秀吉説」、諸処ある様です。)
(実は丸墓山古墳に繋がる桜並木の参道が、堤の一部と知りませんでした(笑))
尚、この堤は、後に『石田堤』と呼ばれ、総延長28kmとか、14kmとか(倍違うじゃん)いわれ、ここ以外にも、約3km程離れた場所に、その名残を残しています。
(丸墓山古墳より約3km程離れた場所の『石田堤』)
地元なのですが、しばらくぶりに来てみると、会い向かいに見学用の駐車場が出来ておりました(ノ゚ο゚)ノ オオオオォォォォォォ-。
これも『のぼうの城』効果でしょうかヾ(´ε`*)ゝ エヘヘ。
(近くには『石田堤史跡公園』もいつのまに)
因みに、この石田堤の道は、案内板には『日光裏街道』とか『日光脇往還』とか書かれておりますが、私は昔『館林街道』と教わった記憶が...(-_-)ウーム